今回は
”子育てを終えて”
というお話をしたい思います。
#今一度考えてみて欲しい
#子供自身の人生は誰のもの
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自分の成長を考えると
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この4月1日に一人息子が
東京に本社がある会社に
就職することになり
親としての子育てがひと段落しました。
子育てが終わった感想としては
”これから先大丈夫かなぁ”
という不安はいつまでもあります。
つまり
その不安はなくなることはない。
というのが現実です。
そんな私の子育てを勝手に振り返って
みたいと思います。
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一人で電車に乗らせてた
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あばあちゃんのいる笠岡へ
たった一人で電車に乗り倉敷駅から笠岡駅へ
行っていたことを思い出します。
最初は私と一緒に倉敷駅から笠岡駅まで行き
それが、ホームからホームまでになり
最終的に改札口から改札口までとなりました。
それが小学5年生になると
兵庫県の西宮まで電車と新幹線を乗り継いで
一人で行けるようになっていました。
#おばちゃんに補導された
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勉強が得意だった幼少期
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私の息子は私と違って
脳みそのエンジンの排気量が大きいため
小学生の頃全国で50番以内に何度か入り
親として、この子はどうなるんだ?
と期待をした記憶があります。
#私は50cc息子は5000cc
#小学2年生から息子に勉強を教えてない
小学校の参観日に行くと同級生の女の子から
「なんで内川君は勉強が出来るの?」
と質問されたことがあって
「勉強が好きだからかなぁ?」
と答えたことがありました。
#知らんけど
ただ、勉強が出来るからと言って
そのことを自慢げに話すような子でもなく
あまり、人前に出るのが好きなタイプでは
無かったように思います。
それでも、小学生の時は
生徒会長をしていた気がします。
#たぶん
運動の方は小1から小4まで
週5回のバドミントンに明け暮れてました。
#どちらかというと親がさせてたのかも
ただ、バドミントンでは特に光るものはなく
小4でバドミントンを辞めると本人が決断し
勉強にシフトチェンジしました。
#息子本人は自分で辞めた記憶が無いみたい
#私にとったら衝撃的事件やったぞ
そこから浜学園という塾で
一学年下の秀才と毎日小テストで競争し
今日は勝った負けたと楽しんでいました。
#ほとんど負けてた気がする
我が家での息子に伝えていたのは
”どんなことでも一生懸命やれ”
ということを伝えていました。
その理由は
一生懸命やれば全てのことが楽しくなるから
と伝えていました。
あともう一つ
”自分のことは自分で決めなさい”
ということでした。
私が子供を育てる上で決めてたことは
子供より先に自分の意見を言わない。
ということでした。
子供に声をかける時には
「これどう思う。これどうしたらいい」
と子供にまず先に聞くようにしていました。
なぜなら、親の意見に流されて欲しくないから
というのが理由です。
所詮、親の意見なんて時代遅れの考えです。
だから、そんなつまらない意見に振り回され
息子自身が考えたり意見を言うことに
躊躇して欲しくないというのが理由です。
#自分の考えを磨かせるために
#親の価値観は後から伝える
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中学生から別々の生活
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中学や高校の時になると
全寮制の学校に行ったので
学校生活と寮生活を一つの敷地内で行い
寮の建物の中で洗濯室・シャワー室もあり
すべて時間で管理されていました。
寝るのは個別の部屋があり
中1〜高3までが過ごす寮の中で
共同生活を行い6年間を過ごしました。
勉強の方はというと
全寮制の学校なので、塾に行くことがなく
学校以外の勉強は、自主学習でした。
自主学習なので、自分で勉強しなければ
勉強は出来ません。
分からないことがあれば周りの友達に
勉強を教えたり教えられたりしてたようで
他の保護者や先生から
「息子さんに勉強教えて貰ってるそうで」
ということを時々聞きました。
そんな話を息子から聞いた事がないので
「友達に勉強教えてあげてるの?」
と息子に聞くと
「自分の勉強にもなるからね」
と答えていました。
#回答として100点です
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ボランティアも
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高校生の時には
西日本豪雨が起こり、そのボランティアに
高校の友達と一緒にボランティアに行ったり
祖父と親子3代でボランティアに行ったりと
ボランティアの経験もしました。
#学校の課題でもあったらしい
トレランのレースのボランティアなどにも
私が無理やり連れて行ったりしました。
そうやって、大人の世界に連れ込むことで
より多くの経験を積ませれました。
#大人の世界を早く知った方がいい
小学生4年生の時に辞めたバドミントンを
中学生から始める高校3年生までの6年間を
バドミントン部に在籍しキャプテンとして
役割もさせて貰いました。
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学業以外も積極的に
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高校生になってからは
・科学の甲子園(団体戦)
・キャリア甲子園(団体戦)
・化学グランプリ(個人戦)
という世界に飛び込んで行きました。
正直、これをやったから何になるの?
と、やり始めは思っていたと思います。
#わざわざする意味あるのか
#親はエントリーしてたことも知らんし
勝手にエントリーして
ちゃっかり優勝して帰ってました。
その結果を自己推薦に利用し
京都大学に入学してました。
#めっちゃラッキーやん
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学業以外も積極的に
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大学に入ってからもバドミントンを続け
大学4年生まで部活でやってました。
大学では理系に進み実験に明け暮れて
そこで自分の進みたい道は他にある
ということに気付いたようで方向転換し
8割以上が大学院に行く中
就職の道に進みました。
#親の負担を減らしたんじゃないよね
全く違う世界に飛び込んだので
就職活動は、困難したようでした。
#自分の人生は自分で決めろ
#自分で決めた道は後悔は無い
そして困難をきわめた就職を決めたのは
”マイナビ”という会社でした。
それは奇しくも
キャリア甲子園を主催の”マイナビ”に
キャリア甲子園優勝した事実を武器に
就職しました。
#キャリア甲子園でキャリアを決めた
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まとめ
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就職をした一人息子の事を考えると
”大丈夫かなぁ”という不安は残ります。
それは、どんなにいい学歴を持っていても
親は常に子供のことを心配します。
#そういう生き物なんです
就職はあくまでも通過点です。
ここから先、まだまだ多くの経験をして
いろんな壁にぶつかり泣いたり笑ったり
し続ける日々が続くでしょう。
でも私は大丈夫だと信じています。
#信じてあげることしか出来ないから
小学生の頃から
自分の行く中学校を自分で決め
何にチャレンジするのかも自分で決め
そこで最高の結果を求めるために考えて
何をするかを決断し自分で行動したこと
それがすべて、息子の力だと思います。
考える→決断する→行動する
ということを自分で出来るようになった
その事実が唯一安心出来ることです。
しかし、その安心があっても
それでも不安になるんです。
親とはそういう生き物なんだと
実感している今日この頃です。
子育て終了の現場からは以上でーす!