#160 子育てを終えて

今回は

”子育てを終えて”

というお話をしたい思います。

#今一度考えてみて欲しい

#子供自身の人生は誰のもの

 

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 自分の成長を考えると

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この4月1日に一人息子が

東京に本社がある会社に

就職することになり

親としての子育てがひと段落しました。

 

子育てが終わった感想としては

”これから先大丈夫かなぁ”

という不安はいつまでもあります。

 

つまり

その不安はなくなることはない。

というのが現実です。

 

そんな私の子育てを勝手に振り返って

みたいと思います。

 

 

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 一人で電車に乗らせてた

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あばあちゃんのいる笠岡へ

たった一人で電車に乗り倉敷駅から笠岡駅へ

行っていたことを思い出します。

 

最初は私と一緒に倉敷駅から笠岡駅まで行き

それが、ホームからホームまでになり

最終的に改札口から改札口までとなりました。

 

それが小学5年生になると

兵庫県の西宮まで電車と新幹線を乗り継いで

一人で行けるようになっていました。

#おばちゃんに補導された

 

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 勉強が得意だった幼少期

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私の息子は私と違って

脳みそのエンジンの排気量が大きいため

 

小学生の頃全国で50番以内に何度か入り

親として、この子はどうなるんだ?

と期待をした記憶があります。

#私は50cc息子は5000cc

#小学2年生から息子に勉強を教えてない

 

小学校の参観日に行くと同級生の女の子から

「なんで内川君は勉強が出来るの?」

と質問されたことがあって

「勉強が好きだからかなぁ?」

と答えたことがありました。

#知らんけど

 

ただ、勉強が出来るからと言って

そのことを自慢げに話すような子でもなく

あまり、人前に出るのが好きなタイプでは

無かったように思います。

 

それでも、小学生の時は

生徒会長をしていた気がします。

たぶん

 

運動の方は小1から小4まで

週5回のバドミントンに明け暮れてました。

#どちらかというと親がさせてたのかも

 

ただ、バドミントンでは特に光るものはなく

小4でバドミントンを辞めると本人が決断し

勉強にシフトチェンジしました。

息子本人は自分で辞めた記憶が無いみたい

#私にとったら衝撃的事件やったぞ

 

そこから浜学園という塾で

一学年下の秀才と毎日小テストで競争し

今日は勝った負けたと楽しんでいました。

#ほとんど負けてた気がする

 

我が家での息子に伝えていたのは

”どんなことでも一生懸命やれ”

ということを伝えていました。

 

その理由は

一生懸命やれば全てのことが楽しくなるから

と伝えていました。

 

あともう一つ

”自分のことは自分で決めなさい”

ということでした。

 

私が子供を育てる上で決めてたことは

子供より先に自分の意見を言わない。

ということでした。

 

子供に声をかける時には

「これどう思う。これどうしたらいい」

と子供にまず先に聞くようにしていました。

 

なぜなら、親の意見に流されて欲しくないから

というのが理由です。

 

所詮、親の意見なんて時代遅れの考えです。

 

だから、そんなつまらない意見に振り回され

息子自身が考えたり意見を言うことに

躊躇して欲しくないというのが理由です。

#自分の考えを磨かせるために

#親の価値観は後から伝える

 

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 中学生から別々の生活

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中学や高校の時になると

全寮制の学校に行ったので

 

学校生活と寮生活を一つの敷地内で行い

寮の建物の中で洗濯室・シャワー室もあり

すべて時間で管理されていました。

 

寝るのは個別の部屋があり

中1〜高3までが過ごす寮の中で

共同生活を行い6年間を過ごしました。

 

勉強の方はというと

全寮制の学校なので、塾に行くことがなく

学校以外の勉強は、自主学習でした。

 

自主学習なので、自分で勉強しなければ

勉強は出来ません。

 

分からないことがあれば周りの友達に

勉強を教えたり教えられたりしてたようで

 

他の保護者や先生から

「息子さんに勉強教えて貰ってるそうで」

ということを時々聞きました。

 

そんな話を息子から聞いた事がないので

「友達に勉強教えてあげてるの?」

と息子に聞くと

「自分の勉強にもなるからね」

と答えていました。

#回答として100点です

 

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 ボランティアも

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高校生の時には

西日本豪雨が起こり、そのボランティアに

高校の友達と一緒にボランティアに行ったり

 

祖父と親子3代でボランティアに行ったりと

ボランティアの経験もしました。

#学校の課題でもあったらしい

 

トレランのレースのボランティアなどにも

私が無理やり連れて行ったりしました。

 

そうやって、大人の世界に連れ込むことで

より多くの経験を積ませれました。

#大人の世界を早く知った方がいい

 

小学生4年生の時に辞めたバドミントンを

中学生から始める高校3年生までの6年間を

 

バドミントン部に在籍しキャプテンとして

役割もさせて貰いました。

 

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 学業以外も積極的に

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高校生になってからは

・科学の甲子園(団体戦)

・キャリア甲子園(団体戦)

・化学グランプリ(個人戦)

という世界に飛び込んで行きました。

 

正直、これをやったから何になるの?

と、やり始めは思っていたと思います。

#わざわざする意味あるのか

#親はエントリーしてたことも知らんし

 

勝手にエントリーして

ちゃっかり優勝して帰ってました。

その結果を自己推薦に利用し

京都大学に入学してました。

#めっちゃラッキーやん

 

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 学業以外も積極的に

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大学に入ってからもバドミントンを続け

大学4年生まで部活でやってました。

 

大学では理系に進み実験に明け暮れて

そこで自分の進みたい道は他にある

 

ということに気付いたようで方向転換し

8割以上が大学院に行く中

就職の道に進みました。

#親の負担を減らしたんじゃないよね

 

全く違う世界に飛び込んだので

就職活動は、困難したようでした。

#自分の人生は自分で決めろ

#自分で決めた道は後悔は無い

 

そして困難をきわめた就職を決めたのは

”マイナビ”という会社でした。

 

それは奇しくも

キャリア甲子園を主催の”マイナビ”に

キャリア甲子園優勝した事実を武器に

就職しました。

#キャリア甲子園でキャリアを決めた

 

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 まとめ

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就職をした一人息子の事を考えると

”大丈夫かなぁ”という不安は残ります。

 

それは、どんなにいい学歴を持っていても

親は常に子供のことを心配します。

#そういう生き物なんです

 

就職はあくまでも通過点です。

ここから先、まだまだ多くの経験をして

いろんな壁にぶつかり泣いたり笑ったり

し続ける日々が続くでしょう。

 

でも私は大丈夫だと信じています。

#信じてあげることしか出来ないから

 

小学生の頃から

自分の行く中学校を自分で決め

何にチャレンジするのかも自分で決め

 

そこで最高の結果を求めるために考えて

何をするかを決断し自分で行動したこと

それがすべて、息子の力だと思います。

 

考える決断する行動する

 

ということを自分で出来るようになった

その事実が唯一安心出来ることです。

 

しかし、その安心があっても

それでも不安になるんです。

 

親とはそういう生き物なんだと

実感している今日この頃です。

 

子育て終了の現場からは以上でーす!