7月23日の朝、ふと開いたXで
オジーが亡くなったことを知った。
享年76歳だったらしい。
・
・
ショックだった、
ああ、オジーも死んでしまったのか、と
大きな喪失感におそわれた。
3年近く前に猪木が死んだときにも感じた
自分の中のどこかの力がぬけてしまったような感覚。
毎朝の日課で、起きてすぐに近所の山へ
走りにいく。芥子山だ。
山頂の岩場までのぼって、そこで一息ついて
スマホを取り出してふと開いたXの、誰かの
投稿でオジーの訃報が流れてきた。
そしてそれらと一緒に流れてきたこの集合写真で
オジー、すばらしい人生だったんだなあ..
って思った。
以降の数日、spotifyのプレイリストでひさびさに
オジーの曲をひっぱりだして聴いている。
往年の若かりしブラックサバス時代、
ソロ名義となってからのオジー全盛期、
最近になってたまに新譜が出たときにも
聴いていたけど、やっぱり自分は
ブラックサバス時代の
オジーの声が独特でオジーらしくていいなあと。
あらためて振り返ってみると
オジーとの出会いは30年以上前、
中学時代だった、2つ年上の兄貴の影響で聴いた
『ノーモアティアーズ』というアルバムだった。
たしか中1、兄貴の部屋から流れてきた
ズンズンズンズンいってて
ギターがギュイーーーーン!っていう中に
甲高い上手か下手かわからない
不思議なオジーのボーカルが耳にのこった。
最初の印象は、、変わった声だな〜
でもなんかかっこいい。
曲もいい。
オジーオズボーン時代、
とくにギターのザックがかっこよかった。
サラサラの金髪でムキムキの上半身、
そしてトレードマークのベルボトム。
大股をひろげて、レスポールをかき鳴らし、
ビールを浴びるように飲んで、
ヘッドバンギングしながら弾きまくる。
・・・あこがれたなあw
その頃に聴き始めたメタルやハードロック、
そこから自身が成長するにつれて時代が遡っていき
大学のときには、ロックの起源となった
ブルースまで聴きあさった。
それこそブルース・ジョンソンまで。
自分の音楽遍歴を振り返ってみると、
きっかけはあの中1のときの
オジーだったんだと思う。
まわりの友達は日本の売れていたバンドやポップスを
聴いていたのに、自分はメタルばっかり聴いていた。
邦楽のポップスなんかより
シンプルに曲がかっこいいと思ったし、
うるさい、ダサいと言われようが
好きなことを全身全霊でやっているひたむきさ
みたいなのが男らしくて聴くほどにハマっていった。
*
そんなにオジーに詳しいわけじゃないけど、
メタルバンドのカリスマとしての表の姿と
酒やドラッグに溺れて体を壊し、
なんども一線からしりぞきかけてはまた復活して
ステージに立ち続けたオジーの姿は、
その生き方自体が、ヘビーメタルそのものと
称され、数多くの後進を産みだし、世界中で
メタルファンを増やし続けた。
そして晩年はパーキンソン病を患い、足がたたなくなり、
昔のように動き回れなくなっても、リハビリをしながら
とにかくステージに立ち続けて曲を生み出し続けていた。
亡くなる2週間前のラストライブ
(7/5に故郷のバーミンガムで行われた)では
椅子に座りながらも9曲を歌いきったらしい。
しかも、そのライブには昔のサバスのバンドメンバーや
影響を受けて育ったメタリカやガンズやパンテラなどの
超一流のミュージシャンたちが一同に集い、なんと
全員ノーギャラで出演、4万人を集めたラストライブと
そのネット配信で集まった収益は約270億円、
故郷バーミンガムの病院とパーキンソン病の基金へ
全額寄付したんだって。
かっこよすぎるぜ、オジー。
そして冒頭の集合写真のような最高の引き際を飾り、
たった2週間後に天国へ旅立った。。
*
オジーが教えてくれたこと、
・失敗してもまた復活して何度でもやれること
それらをすべてさらけ出すことでもっと魅力が増すってこと
・好きなことをひたむきにやり続けることで
まわりにプラスの影響を与えることができること、
まだまだいろいろあると思うけど、
メタルやロックの入り口になってくれた
オジーに心から感謝したい。
ありがとう、オジー。
あなたの曲とあなたが愛したロックと
ヘビーメタルに出会えて本当によかった。
どうぞ安らかに。
(青木)
よかったら、オジーのラストライブの勇姿、
みてみてください↓
https://x.com/i/status/1947727716385456633




