#25 山を守る、ということ。

青木です。

私は2020年の1月から、“吉備の中山を守る会”という団体の活動に参加させてもらっています。

“吉備の中山を守る会”というのは、岡山市の北区にある里山山域の「吉備の中山(きびのなかやま)」の清掃・史跡や散策路の整備活動を中心に、史跡・遺跡・伝承を地域と共に伝え未来に引き継ぐ活動をしている団体です。

以下のサイトを参照

https://kibinonakayama.com/

月に2〜3度、約2週間に1回くらいのスパンで吉備の中山の数ある史跡や遺跡・散策路の清掃・整備をだいたい10人程度の会員であさ7:30に集合し、用具の準備をし、お昼までの数時間をつかって作業します。

その月に2〜3度の清掃・整備活動なんと約20年前から継続してずっとやられています。会員のみなさんは地元地域にお住まいで平均年齢は70歳を越えてるのではないでしょうか。なかには83歳となられても毎回バリバリに参加してハードな草刈りなどの作業をされている現役の大先輩もいらっしゃいます。

私は土日に作業がある際に数ヶ月に一回参加させてもらっているんですが、この2年あまり参加させてもらったなかで(十数回程度ですが、、)同じ散策路の草刈りも数回やったり、同じ史跡の周辺を整備したことで気づけたことがあります。

それはこうやって絶えることなく清掃整備活動の手が入っているからこそ、普段ふと思い立って中山に行ったときにも散策路が気持ちよく歩ける状態に保たれ、山の中にある史跡に立ち寄ったりできるんだということです。すこし考えればわかる“あたりまえ”のことなんですが、山の中の散策路やトレイルはもともと山にあったものではありません。だれかが「ここを歩きたい」と思って「ここに道をつくろう」と決めて道をつくるという作業をしたからこそ「道ができて」、それをまた別のだれかが「ずっと保っていきたい」と思って「保てるように定期的に整備してきれいにしよう」と決めたからそれが「保たれている」んです。

そう、つねに“だれか”がその“思い”でやっているからこそ“そうなっている”、あたりまえに存在するものなんてないって思えます。それを参加させてもらい、一緒に作業をしていくことであらためて気づかせてもらえました。

登山に触れ、山が好きになって、トレイルランニングにハマり、オリエンテーリングにハマり、山に入ったり触れていることがとても多くなっていたのにそんな“あたりまえ”のことになかなか気づけなかった。。でもご縁があり、中に入れてもらい、一緒にやらせてもらうことで気づけた。。この「中に入って一緒にやる」ってことが大事だったんだなって思います。

一生懸命、汗だくになって虫にさされて、みなさんときれいにした山の散策路も数ヶ月たてばすぐに雑草が復活し、すぐにトレイルは閉じてしまいます。でもまた同じように汗だくになって虫にさされながら草刈りしてきれいな散策路になるようにと作業されています。数ヶ月後も同じようにまた、みんなで、淡々と。ここを来る人がいつでも気持ちよく歩けるように…と。なんかいいなあと思いませんか。うまく伝えられてるかわかりませんが(苦笑)

 

出来る限り、これからもこの“守る会”の活動に参加していこうと思います。そして、この気づけたことやその思いの部分をこれからも、共有していきたいと思います。(青木)